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Your search : [ author:構成 車慕奇 え·翁乃強] Total 138 Search Results,Processed in 0.113 second(s)
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1. シーサンパンナ
国境を越えれば、そこは、ビルマかラオス。シーサンパンナは、熱帯に位置する神秘にして麗しい、旅行者のあなたにとっては、“地上の楽園”なのです。訪れた日本人のお客さんは、「ああ、わたしが画家だったら」「ああ、わたしが詩人だったら」と、口をそろえてお嘆きになる!? 中国人にしても気持ちは同じです。美術学校の学生が、一度は行ってみたいところ、それがシーサンパンナなのです。「シーサンパンナ」は、ダイ語。ダイ
Author: 構成 車慕奇 え·翁乃強 Year 1989 Issue 8 PDF HTML
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2. 大理
「世界の屋根」·チベット高原から東南に伸びる横断山脈。万年雪をいただく尾根から、金沙(きんさ)江、瀾滄(らんそう)江、怒(ど)江の谷を刻む険しい急勾配の山腹は、世界でもまれな「垂直分布」で知られます。珍しい動·植物が、標高のちがいによって、層を成すように分布しているのです。横断山脈の一支脈が蒼山(そうざん)。点蒼山とも呼ばれます。一支脈と言っても、海抜は四千メートル。十九の峰がつらなり、延々四十二
Author: 構成 車慕奇 え 翁乃強 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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3. 延の種子
一県の党委員会の主催で春季農耕生産会議が、まる三日間もひらかれた。目のまわるような忙しさで、新聞さえまんぞくによめない。夕食のあと、わたしはなにげなく二日まえの新聞を手にとった。「貧農·下層中農のすばらしいあとつぎ」という見出しにひきつけられ、わたしはたんねんにその記事を目で追った。内容はつぎのようなものであった。厳冬の早朝は、もやがたちこめていた。紅旗(ホンチー)人民公社の春風峪(ウンフオンユイ
Author: 華彤 え·翁乃強 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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4. 春の雪
ドアのところにもたれるようにして、紹華は舞い落ちる雪[注释1]を眺めていた。満ちたりた、心地よさに彼女は浸っている。明日は市の「優秀農民企業家集会」に出席するし、それにもましてうれしいのは、夫の王強がきょう、ようやく彼女のもとに帰ってきてくれる。ふと襟を何気なくひっぱると、彼女は急に何か思い出したように、部屋に戻った。そして、タンスから上等の洋服を取り出した。女性ではあっても、彼女は商魂たくましい
Author: 戴振宇 え·翁乃強 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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5. 西北紀行
最近わたしは西北を旅行し、黄河の西の回廊地帶まで行つて來た。昔『絹の道』といわれたその道路にそつて、鉄道労働者たちは蘭州―新疆をむすぶ新しい線路を建設していた。自動車道路はまつすぐに西北へ向かい、万里の長城の最西端關口―嘉峪關をすぎてゆく。このあたりの長城はどこをみても朽ちにてた城壁の跡である。私達を飛せたトラツクのすすんでゆく左手には、蜒々と祁連山脈がつづいている。頂上は白い万年雪をいただき、雲
Author: 車慕奇 Year 1953 Issue 4 PDF HTML
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6. ゴビの砂漠に石油の町
一、新しい油田―玉門万里の長城の最西端にある嘉峪關から一歩そとへ足をふみだしたわたしたちの眼の前には果てしなくゴビの砂漠がひろがつていた。砂礫におおわれた灰色の大地の上には一軒の人家も一本の樹木も見出せなかつた。ただいんうつな空がおおいかぶさつているだけである。ラクダの一群が、のろのろとした歩みをつづけてゆく。くびにつけた鈴が、さみしい響きをたてる。わたしたちのトラックをのぞいて、すべてのものは、
Author: 車慕奇 Year 1953 Issue 6 PDF HTML
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7. 山の町·重慶が大きく変わった
長江と嘉陵江の合流点にある山の町·重慶は、近年、都市改革の進歩が早く、顕著な成果をあげて、中国の各大都市の間で声望が高まっている。
Author: 車慕奇 Year 1984 Issue 10 PDF HTML
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8. 探訪 黄河デルタの第二の大慶
このところ、石油価格の低下が世界的な問題になっているが、中国ではどうか。これについて李鵬副総理は「石油の国際価格の低下は中国の外貨収入にある程度影響するが、総体的に見れば得もあり失もある。石油の輸出収入は減るが、中国は石油輸出大国ではなく、年間輸出は三千万トン程度である。別の面から見れば、石油価格の低下による一部商品の価格の変化は、中国の輸入にとって有利になる」と述べている。
Author: 車慕奇 Year 1986 Issue 6 PDF HTML
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9. シルクロードを考える
日本では、四月から奈良でシルクロード博が開かれている。またユネスコでも、今年は各国の専門家を組織して、シルクロードの全ルートの調査をするそうだ。古代の東西文化交流の道、シルクロードに寄せる人びとの関心はいつまでも変わらない。私も同じ気持ちをもつ者の一人として、喜ばずにはいられない。絹の道 美しい夢もう十年前になるが、私は、シルクロードの新疆部分に属する三つのルートをつぎつぎとくまなくたどって、五〇
Author: 車慕奇 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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10. なぜ「六月風波」は起こったのか
四月十五日に胡耀邦の死を悼む花輪が現れてから、六月四日に天安門広場の占拠者たちが退去するにいたるまでの、五十数日にわたる北京の風波は、すでに収まって、北京と全国の情勢は安定した。事態収束後、さまざまな角度から思考がおこなわれ、教訓が汲みとられている。わたしも、わたしなりの考察を試みてみたい。なぜあれだけ多勢の者が…なぜあれだけ大勢の者が動乱にまきこまれたのか。人びとの議論の的となった問題である。全
Author: 車慕奇 Year 1989 Issue 12 PDF HTML